ありのままを好きになるとか好きにならないとか

ありのままを好きになるとか好きにならないとか。

 

ありのままの自分を好きになって欲しいと思う。

ありのままの相手を好きなりたいと思う。

 

相手のために自分が変わるとか、

自分のために相手が変わるとか。

そんなことあんまり求めたことなかったんだよね。

 

正直、

こうなって欲しいとかああなって欲しいとか要求することも苦手で。

 

ウンウン、話聞いてばっかりで。

職業柄、割とどんな話でもウンウン話聞けるわけで。

 

相手がこっちに嫉妬させたくてしている話でも、

ウンウン辛いね。大変だね。ってなるわけで。

そっか、その時どう思ったの?とかなるわけで。

 

そういうのってつまんないんだろうな。

優しすぎるね、って遠回しにいわれちゃうわけ。

 

恋愛するにはスリルがないんだろうな。

だから、優しすぎるからいつでも許してくれると思うから浮気されちゃうんだよ。なんて言われるわけで。

 

浮気された僕が悪いのかよ。

 

自分のそのままを愛してくれる人いないかな。

そんなのいないか。いるのかな。

よくわからない。

相手の要求に応えて変わっていく?

自分偽っていく?よくわかんない。

好きな人のために自分を変えてく?

 

というか、

昨日Grindrをダウンロードしたら、

元彼と元彼の彼氏が出てきて。それも、同じ距離で。

明らかに一緒にいるんだろうな、なんて思うと心が揺さぶられる。

結局すぐ消した。

 

バカだよなー。

何してんだろう。

アンヘルシーなことばかりしてる自分。

 

友達に会ってくる

気が乗らない。

 

でも、元彼の親友の旦那がすごく気にかけて何度も何度も連絡をくれる。

 

元彼とうまくいかなかった時も、いつも話を聞いてくれた。

別れた時、なおきの味方だよ、なんていつも言ってくれた。

自傷が止められなかった時、泣きながらハグしてくれた。

 

そんな人。

 

でも、友人たちみんなが全部知ってた、ってという事実を知った以上、

彼にだって会いたくなかった。

 

知っていたところで、彼にできたことなんて何もなかったはずだし、

それも含めて、僕の側にいて守ってくれようとしていた。

 

そんなことも思う。

 

会いたくないと会いたいがすごい揺れる。

 

気にかけてくれてるのか、何なのかわからないけど

よくメッセージをくれる。

 

話したいことあったらいつでもきなよ。

 

いつでも空いてるから。

 

そんなメッセージをいつもくれて無視し続けて、

久しぶりに返事をした。

 

ただの八つ当たりのメッセージだ。

 

全部知ってたくせに、友達づらすんなよ。

 

それでも、返事は返ってくる。

 

今、彼の母親(アイルランド人)がアイルランドからきているらしい。

お母さんとは僕も面識がある。

彼らの結婚式に招待された時に、お母さんにもお会いした。

 

なおきに会いたがってるよ、って。

 

ほんとかよ。と思う。

 

もう会いたくなんかないけど、

 

会ってみようかなと思う。

 

心も体も重いけど、

それでも、4年間近くにいた人だ。

 

友達に戻れるとは思えないけど、

それでも、会いに行ってみようかな。

 

3月いっぱいは人間活動はしないつもりだったけど、

会って一度きちんとお話ししておきたい。

 

怒りだけで心を支配されても仕方ない。

本当に。

 

 

彼氏に望むもの。

新しい彼氏に期待してるもの、って何かある?

好きな人に聞かれる。

 

何かあるかな。

わからない。

 

わからないってことないんじゃない?大変な目にあったんだから。

聞かせてもらえたら、嬉しいな、なんていうから。

 

少し考えてみる。

 

あー。

朝帰りするなら一報入れて欲しい。

 

朝帰りするな、とは言わないし、友達と出かけても構わないんだけど、

帰ってこないなら、それだけ言って欲しい。

 

それでいい。

 

そんな当たり前のことでいいの?

なんて言われてしまうと、

 

あーそうか。それって当たり前のことだったのか。

 

僕はいつもやきもきしていた。

帰ってくるのかな、こないのかな。

事故にあってないかな。何してるのかな。

連絡しても返事はない。

 

あー、僕は重い人なのかもしれない、と当時は思っていた。

でも、それは当たり前のことだったんだなぁ。

 

ほかにはないの?

 

なんて言われると、

今度はたくさん出てきてしまう。

 

そんなことを考えていると、どんどん重たい人になりそうな気がして、口を噤む。

 

相手に尋ねると、仕事以外の時にメッセージを送ったら2時間以内に返事して欲しい。

 

なんか、嬉しくなった。

そういうのいいなって思った。

 

求められているのがたまらなく嬉しい。

 

拒否をされ続けてきた最後。

 

好きとか愛しているとか自分が言った時に、返事がない時の虚しさ。

手を繋ごうとした時に、拒否される辛さ。

求められていないことがわかる辛さ。

 

そんな気持ちを味わい過ぎてしまったから、

この今の何とも言えない宙に浮くような高校生のような恋愛はすごく暖かい。

 

少しずつ、前に進めそうなそんな気がする。

 

 

 

 

感謝すること。ゲイであること。

8年間分のメッセージを読み返しながら、

いろんな思い出を読み返す。

 

彼と出会えて得られたものってなんだったのだろう。

最後にあんな別れ方はしたし、最後の数年間はすごく辛かったのだけど、

それでも、付き合い始めてからのメッセージを読むと、得られたものはたくさんあったはずだ。

 

一番大きかったのは、ゲイとして生きようという覚悟をもらえたことかもしれない。

親にも友人にもカミングアウトができた。

 

中学の時から気づいていた自分の性的指向。

まだゲイということの認知はそんなにされてもおらず、

いつか治るであろうと思い、ストレート(簡単に言えば、性自認が男性で。女性が好きな男性)の友人たちと同じように、生活しようとしていたし、歯の矯正のような心の矯正をずっと行なっていた。それもしょうがないと思っていたし、ゲイであることを人にいう予定もなかったから、いつか女性と結婚をして子供を授かる、そんなことを思っていた。

隠して生きていく気満々だったのだ。

 

それが、いつの間にか、

こうやってゲイとして自由に生きられているのはきっと彼から勇気をもらったからだ。

 

彼とあの時、たくさんの夢を見れたから、ここまでこうしてこれたのだ。

2人で海外(法律的にゲイとして一緒に居られる国)に行くことを夢に見たし、実際に現実にもなった。彼はそれを最初から口に出してくれた。

だから、付いていこうと思ったし、二人で頑張ろうと思えた。

だから、カミングアウトもした。

今から、こうやって幸せになっていく。

誰に何を言われるでもなく、

僕は僕自身として生きていく。

 

だから、自分らしく生きようと思えたのだ。

 

これはきっと彼との出会いの中で得られた大きな宝物だっただろう。

 

友達や会社の人に好きな人の話も好きなようにできるようになったし、

かっこいい芸能人の話も誰にも気兼ねなくできる。

彼女なんて嘘をつかなくていい。

何よりも、ゲイだってバレるなんてビクビクしながら生きなくてすむ。

 

得られたものがなかったなんて言っちゃダメなんだよな。

8年間、泣いて苦しかった思い出ばかりが今は鮮明にまだ残っている。

特に最後の方の辛いところが。

でも、メッセージを読み返せば読み返すほど、

彼に感謝することもたくさん存在しているんだなと気づく。

 

8年間、20代全てをむだにしてしまったな、ってことはまだ思うし、早く決着をつけとけばよかったとは思うけど、それでも、得られたものは大きかったのだ。

 

何を大げさな、って思うかもしれないけれど、ゲイとして生きれる今があるのは彼のおかげなのだと思う。

 

僕はやっぱりゲイとして生きられる今が幸せなのだと思う。

 

 

突然友人たちからメッセージが来ると思ったら。

昨日か一昨日くらいから友人たちからメッセージが来るようになる。

 

なおき大丈夫?元気かー?なんて。

何を突然と思ったら、

元彼が僕の仲の良いであろう友人たちに連絡をしているらしい。

なおきの面倒を見てあげてほしい

 

余計なお世話である。

あなたのせいでメンタルがやられたのに。

 

ふと毎日、あまり精神の安定していない生活を送っていると、

こういう時は本当にお酒を飲むと危うい。

 

言ってはいけないことを口走ってしまったりする。

今の好きな人に電話をかけて、

元彼の話なんてしてしまったりする。

 

それも覚えていないからたちが悪い。

自分がどのくらい好きだったか苦しんだかを延々と話していたらしい。

そんな話聞きたくないだろうし、こちらもそんな話したくなかった。

 

怒ってはいなかったけど、きっと聞きたくはなかったはずなのだ。

 

吹っ切れるようで、こうやって僕の日常に入ってくるとなかなか身動きが取れなくなってくる。

好きな人とは新しく始めたいけれど、

難しい。

 

遠距離だからなおのこと。

 

クライストチャーチで新しい恋愛をと、帰って来た当初は思ったけれど、

日本で会ったその人のことが忘れられないし、自分の気持ちがそちらに向きつつあるのもわかる。

それに、ここに長く住むつもりはもう毛頭もない。

長くて5月末かな、なんて考えている。

なるべくなら一刻も早く出たいのだけれど、

とりあえず、5月末までここで働けば予定している貯金額には達しそうだから、それを期に出ていくつもりだ。

 

あと、2ヶ月と少し。

長いかな。

どうかな。

 

その間に日本で就職するとしたら、何がしたいのか、どんなことをしていきたいのかをきちんと考えたい。

 

TOEICも受けろと言われたからTOEICも受けなきゃなのか。

 

 

昔のメッセージを読み返す

もうここにはいたくない。

 

もう残っている気持ちはそれしかない。

期限は3ヶ月。

6月にはもう日本に帰ろうと思っている。

 

大学院はそのうち戻ればいい。

日本で新しい活路が見いだせるかもしれない。

人生なんて割と捨てたもんじゃないし、きっとこれからもなんとかなるはずだ。

 

コロナウィルスのことも心配だけど、それよりも自分のメンタルヘルスのが心配だ。

数ヶ月もあればよくなるだろうという希望的観測はもちろんあるのだけど。

 

ここに住み続けることが自分のメンタルヘルスにとって、良い影響を与えるとは全く思えない。弱い人間といわれれば、それまでなのだけど。

 

ただね、こんな仕事をしていて、いつも人には共感を示し、あなたはあなたそのままでいかに素敵で魅力的であるかを伝えているのに、自分にはできない。

 

期待値を高く持ち続けてしまっている。

だから、いつも何かにつけて自分をせめてしまう。

そのせいで自信も得られなければ、自分のことをそのままで認めたりもできない。

 

問題はきっとそこだったんだよな。

いつも彼にカウンセラーの役割を押し付けてたんだろうな。

特に元彼は自尊心も自信もやたらあって自分のことを世界で一番正しいと思えるような人だったから、彼の大丈夫が大きな役割を果たしてくれてたのはある。

その大丈夫も途中から言ってくれなくなった。重かったし、めんどくさくなったんだろうな。

 

自分に自信がない人が他人から魅力的に見えるはずなんてこれっぽちもない。

 

Facebookのメッセージを最初から見返す。

8年前から僕は自分に自信なんかなくて、甘いささやきばかり求めていた。

その言葉に溺れていた。

どんななおきでも、愛している。一生愛していく。

そんな言葉に溺れて、有頂天だったんだと思う。

 

ただ、その恋愛を始めたばかりの頃のメッセージを見返して、

胸がぎゅっと締め付けられると同時に声に出して泣く。

 

別れてから自分のために声に出して泣いたのは初めてかもしれない。

 

あの素晴らしい愛をもう一度。

 

中学生の合唱コンクールで歌ったこの曲。

意味なんてわからなかったこの曲。

痛いくらいわかる。

 

命かけてと誓った日から素敵な思い出残してきたのに。

あの時、同じ花を見て美しいと誓った二人の

心と心は今はもう通わない。

 

そうだよね。

彼を変えたのは僕かもしれないね。

僕かもしれない。

 

僕が自分のことをきちんと愛せなかったから、

自分のことを認められなかったから、

対等じゃなくなったのかもね。

魅力的に思えなくなったのかもね。

 

次の恋愛に進みたいし、僕は今の新しい彼氏になりそうな人を好きなのだけど、

元彼のことで咀嚼ができていない。

 

1ヶ月以上経つのに、まだグラグラしてる。

おいおい。

 

失恋とか破局とかってこんなにきついものだったっけ。

 

 

 

プロフェッショナルでいようとする自分

仕事では、精神科で自立支援サポートの仕事をしている。

数多くのメンタルヘルス疾患を持つ方々の日常生活を支える仕事だ。

精神疾患のために、できなくなってしまった日常生活(例えば、買い物でうまくやりくりができない、料理ができない、コミュニティ活動に参加するなど)に介入して、自立した生活ができるように、一緒に目標を立て実践していく。とは言いつつも、基本的には、クライエントさんとお話をすることがメインの仕事だ。

クライエントさんの種類も様々。性別年齢国籍経済状況何にも問わず。

メンタルヘルスは誰のことも差別しない。

そんなことを物語っている。

 

そんな仕事をしているためか、自分のメンタルが良好ではないときは、

自己投影して傷がえぐられることが多い。

 

クライエントさんが泣きながら、恋人に振られた話をしてくる。

辛い。辛い。死にたい。

生きている価値なんてない。

もうよくわからない。

 

そんな話を聴きながら、僕はクライエントさんの話を聴きながらも、自分に投影して、

泣きそうになるのは、相手のためではなく自分のため、だなと気づく。

感情を投影しすぎて、友人と話している感覚になるときは、俯瞰することを忘れないようにしている。その一言は、プロとしての一言か、いうべきかいわないべきか。

 

でも、相手の話を聴きながら、対話を繰り返していく中で、いつもたどり着くのは、

今の自分の感情を否定しないこと。

怒りも悲しみも嘆きも、今のその感情に流されてみるのが重要ということ。

その感情が来るのは、今の自分にとって然るべきもの。

傷はそう簡単には癒えていかないけど、いつかきっと癒えていく。

 

簡単に聞こえて難しいんだけど、

今立ち直るために行う全てのことは間違ってなんていない。

大丈夫。

 

自分にとって今そうすべき、したいな、ってことをやってみて。

 

8年間好きで愛していた人を、パソコンのゴミ箱じゃないんだから、

そんな簡単に削除できるほど、簡単じゃないわ。