きっと、これで終わり。
お金のこと、決着つかず、と書いたあの日から、もうすぐで1年。
ようやく、お金がすべて返ってきました。
別れてから、1年半以上かかり、ようやくお金がすべて返ってきました。
実を言うと、今年の3月から少しずつは返ってきていました。
今年の2月頃、急に現金では返せないので、Prezzy Card (ギフトカード)で返却したい、と言われ、断り現金で返してと伝えると、それなら返せない、と断られました。泣く泣くPrezzy Cardでも返ってこないよりかはましだ・・と了承しました。
それから、毎月、Prezzy Cardが家に送られてきました・・
家を引っ越すたびに住所を教え、それもPrezzy Cardは2年の期限付きで、使えるお店と使えないお店もある・・
やっぱり現金で返してほしい!と伝え、なぜPrezzy Cardなのかと理由を聞いてもはぐらかされ、毎月毎月、本当に今月は送られてくるのかな?とヤキモキしながら、全額、Prezzy Cardで返ってくるのかな、なんて半ばあきらめていました。
それが急に、先週、全額返金します、と連絡がきて、銀行に送金されました。
全然返金されないことと現金ではないことに呆れ返り、ふざけんなよ、なんてずっと思っていたのに、なぜかふとすべて終わったと思うと、すごく複雑な気持ちになります。
8年間、二人で積み上げてきた物を、これで崩し終わった。そこに僕と彼とのつながりは全て無くなった。幕を閉じたんだね。
これはきっとあとがきのようなもの。
すごく久しぶりにいろんなことを思い出して、物思いに耽る。
辛くて泣き叫んだ日々とともに、たくさんの幸せもきっとそこには存在したんだよな、なんて思う。
彼とも友人たちとももう繋がりはないのだけれども、思い出だけは確かにそこにある。ただ、思い出すと辛くて苦しい瞬間も、未だに言ってやりたいこと怒りをぶつけたいこと、それはそれはたくさんある。それでも、すべてが愛おしかった思い出にいつか昇華されるといい。
思い返すと、20代、多くの選択をしてきたけれどその選択のほとんど全てを彼とともにしてきたんだな。
彼と出会い、それまで隠し通すつもりだったゲイとして海外で生きる覚悟を決めたあの21歳の夏。それから、遠距離を経て、二人で生きられる国を探して、ニュージーランドに来た。そして、僕はいまこうして休学や留年を経てようやく大学院も終りを迎えられそうで、その最初の数年間のサポートをしてくれたのも彼だ。
ありがとう、と言えるほど、許せてはいないのだけれど、それでも、思い返すと、感謝すること以外に相応しい言葉も思いつかないんだよな。
惨めな思いをして怨み苦しかった日々ももちろんある、それを含めても感謝することのほうが多い気もする。
同じ気持ちで一緒になったのに、あの8年間、21歳から29歳の間に、二人は成長し、見る世界や見たい世界が変わっていったんだろうね。
彼と別れてから1年半。
当時を思い返すと、怖くて怖くてたまらなかったのは、彼と別れることよりも一人で生きられるかが不安だったことなんだな、きっと。だって、見てる世界も見たい世界ももう違うことに気づいていたから。
ただ、それでも当時は地獄の日々を毎日耐え抜き、いつかきっと元に戻れると思っていた。
でも、そのいつかはきっとこない。今ならよくわかる。
変わってしまったものにすがっても仕方ない。
それは亡くなった人の影を追い求めているのと一緒だ。
僕は1年半前、恋人も友人も住む場所も貯金も全て無くなった。
もう終わりだ、と何度も思った。それでも、人生は進んでいった。
いやなことも苦しいことも何も飛ばせず進んでいった。
これで、このブログもきっと終わりなはずだ。
いま、僕は幸せに生きている。
新しいパートナーと毎日、楽しく生きている。
苦しかった大学院もあと1週間で終わる。
これでようやく前章に終止符を打てた、そんな気がしている。