感謝すること。ゲイであること。

8年間分のメッセージを読み返しながら、

いろんな思い出を読み返す。

 

彼と出会えて得られたものってなんだったのだろう。

最後にあんな別れ方はしたし、最後の数年間はすごく辛かったのだけど、

それでも、付き合い始めてからのメッセージを読むと、得られたものはたくさんあったはずだ。

 

一番大きかったのは、ゲイとして生きようという覚悟をもらえたことかもしれない。

親にも友人にもカミングアウトができた。

 

中学の時から気づいていた自分の性的指向。

まだゲイということの認知はそんなにされてもおらず、

いつか治るであろうと思い、ストレート(簡単に言えば、性自認が男性で。女性が好きな男性)の友人たちと同じように、生活しようとしていたし、歯の矯正のような心の矯正をずっと行なっていた。それもしょうがないと思っていたし、ゲイであることを人にいう予定もなかったから、いつか女性と結婚をして子供を授かる、そんなことを思っていた。

隠して生きていく気満々だったのだ。

 

それが、いつの間にか、

こうやってゲイとして自由に生きられているのはきっと彼から勇気をもらったからだ。

 

彼とあの時、たくさんの夢を見れたから、ここまでこうしてこれたのだ。

2人で海外(法律的にゲイとして一緒に居られる国)に行くことを夢に見たし、実際に現実にもなった。彼はそれを最初から口に出してくれた。

だから、付いていこうと思ったし、二人で頑張ろうと思えた。

だから、カミングアウトもした。

今から、こうやって幸せになっていく。

誰に何を言われるでもなく、

僕は僕自身として生きていく。

 

だから、自分らしく生きようと思えたのだ。

 

これはきっと彼との出会いの中で得られた大きな宝物だっただろう。

 

友達や会社の人に好きな人の話も好きなようにできるようになったし、

かっこいい芸能人の話も誰にも気兼ねなくできる。

彼女なんて嘘をつかなくていい。

何よりも、ゲイだってバレるなんてビクビクしながら生きなくてすむ。

 

得られたものがなかったなんて言っちゃダメなんだよな。

8年間、泣いて苦しかった思い出ばかりが今は鮮明にまだ残っている。

特に最後の方の辛いところが。

でも、メッセージを読み返せば読み返すほど、

彼に感謝することもたくさん存在しているんだなと気づく。

 

8年間、20代全てをむだにしてしまったな、ってことはまだ思うし、早く決着をつけとけばよかったとは思うけど、それでも、得られたものは大きかったのだ。

 

何を大げさな、って思うかもしれないけれど、ゲイとして生きれる今があるのは彼のおかげなのだと思う。

 

僕はやっぱりゲイとして生きられる今が幸せなのだと思う。